2014年1月31日金曜日

授業の様子《第5回 向山直佑,Naosuke Mukoyama カナダ》

お久しぶりです、トロント大学留学中の向山直佑(むこやまなおすけ)です。
新学期も一ヶ月がまもなく過ぎ、3月に授業が終わって4月がテスト、その後すぐ夏休みに入るここトロント大学での留学生活も、もう残り3ヶ月弱となってしまいました。
もともとの期間が英米組に比べて多少短いのですが、それにしても、時が経つのは早いですね。
僕も4月から住む家をもう探しています。
帰国が楽しみなような、帰りたくないような…。

さて今回のお題は授業の様子ということで、ここトロント大学で受けてきた/受けている授業について、簡単にご紹介したいと思います。
といっても、簡単にしかご紹介できないのですね。
何せ僕は今、2科目しか履修しておらず、3科目しか通っていないからです。
何で単位にならないものに通っているのかというとそれはこの大学では全ての授業に定員が設けられていて、キャンセル待ちにおいて(たぶん)交換留学生は後回しにされるので、授業によってはなかなか取れず、この授業も人気で履修できなかったからです。
このシステム、とても非効率で鬱陶しくて馬鹿らしいのですが、まあそれはいいとして。

まず先学期はどんな授業を取っていたかというと、以下の3つです。

①POL322, Quantitative Reason
これは政治学の計量分析の基本を習うという授業で、そこそこ大きい教室に100人くらいの学生が入って講義を受けます。
先生は日本人で、ミシガン大学でPh.Dを取ってこちらで就職されたという新任の先生、内容は日本で我々がやる「統計学」あるいは「統計分析」の授業を英語でやる、という感じです。
日本の教養課程で「基礎統計」、専門課程で「統計学」を一応履修していたので、英語での語彙に馴染むことが出来ればあとはとても簡単でした。

この授業の醍醐味はグループワークがあるところで、それは学期に3回出される課題について、4人のグループで分担してレポートを仕上げる、というものです。
最初はかなりびくびくしながら様子を見ていたのですが、2回目になってわかったのは、「案外周りはわかっていない」ということでした。
トロント大学と東京大学の政治学専攻の学生を比べてみると、平均すれば確実に後者の方が数学が出来ると思われ、これは友達などに聞いた限り、どうやら他の分野でも、「同じ分野で比べれば、カナダで中等教育を受けてきた平均的な学生よりも、アジアで中等教育を受けてきた平均的な学生の方が数学に強い」ということが出来そうです。

この授業では回を重ねる毎に自信をつけることが出来、先生の英語の聞き取りやすさも相まって何かとへこみがちな留学前半において僕のモチベーションを支えてくれました。

②POL417, International Politics in the Third World
これは4年生対象のセミナー形式の授業で、学生は15人ほど、講義ではなくディスカッション形式で行われます。
北米の大学では授業が100レベルから400レベルまで、学年に応じてレベル分けされているのですが、これは400レベルで、このレベルは交換留学生で取る人はそれほどいないようです。
僕もおっかなびっくり履修登録をし、無理そうだったらすぐ切ろうなんて思って授業に行ったのですが、結局今まで続けています。
内容は「第三世界」と呼ばれる国々、つまり発展途上国に関する政治的事象(貧困・開発・環境・人権…etc)に関して論文を読んできて、ディスカッションし、後期にはリサーチペーパーを書いて発表する、というものです。
先生はエチオピア人で、アクセントはなかなか強いですが発音的には日本人にわかりやすい英語です。
この授業が一番、留学前半の僕にとって「頑張りどころ」であったように思います。
最初の状態は、「先生の英語は聞き取れるが学生の英語は早すぎてよくわからない、発言は時々するが議論の流れにのっとった発言は出来ず、意図をなかなか汲み取ってもらえない」というもので、その中で何とか毎回発言して先生に認識してもらおうとしていましたが失敗ばかりでした。
毎回授業の後にはへこんだり、言うべき所で意見が言えなかった自分に憤ったりしながら寮に帰ったものですが、十分な時間を与えられる「書く」という作業においては、案外十分な評価を得ることが出来、少し拍子抜けするとともにとても嬉しかったのを覚えています。
発言についても、今学期授業に行き始めて、学生の英語が普通に聞き取れている自分に気づきました!相変わらず100%ではないですが、先学期の苦労を思うと少しは成長したなあ、と思います。
今学期は良いペーパーを書き、彼らに負けない量の発言をすることを目標にします。

③SMC240, Celtic Culture
その名の通り、ケルト文化の授業です。
この授業が先学期僕を一番苦しませた授業で、結局今学期に入る前に切ってしまいました。
なぜ専門と全く関係ないこの授業を取ったのかというとそれはまさに専門と全く関係ないからなわけですが、専門と全く関係ない分野を他言語で学ぶのはこうも難しいのかと思わされました。
自分の専門分野なら、これまで論文も読んできているし、ある程度語彙があって理解できます。
しかし他分野の専門用語はこれまで全くかじったことがないため、いきなり授業を受け出すとそれはかなり悲惨なことになりますし、授業内容が限定されていればされているほどより苦しくなります。
一例を挙げれば、先生も学生も普通に使っていた"Torque"(首輪・腕輪)という単語を僕は文字にすることが出来ず、torc、tork、talcなどと辞書を引いては首を傾げ、torqueだと知るのに何週間もかかりました。
この授業の場合、ケルト文化の、中世のみ、それも文学や詩を中心に学ぶということで、ケルト音楽やケルト人の習俗を想像して来た僕の興味から外れるばかりか、「詩なんて日本語でもわからないのに!!」ということで少人数のTutorialでは特に何の発言もできず苦戦しました。
苦しいからといって安易に投げ出すのはよろしくないですが、しかし興味を持てないことをやり続けるのもこの留学生活で必要なこととも思えず、次の学期は詩しかやらないと言われた時点で落とすことを決めました。


これから留学されるみなさんも、授業の選択には十分注意された方がいいかと思われます。
新しい分野にチャレンジするのは、それ自体は素晴らしいことですが。


とまあ、ここまで書いてわかりましたが、この投稿、相当長くなります。笑

以上が先学期に取った科目で、今学期は②のみ継続、それに以下の2つを追加しています。
④POL419, Data Analysis
これは①と同じ先生が開講されている400レベルのセミナーで、しかしディスカッションではなく、統計ソフトを使って実際に統計分析をしてみよう、という授業です。
Rというフリーの統計ソフトを使用して、色々なコマンドの使い方を学んでいき、実際の研究に統計ソフトを使えるレベルに持っていくというのが目標らしいです。
コンピュータソフトをいじるのは未経験なのですが、統計ソフトは今や政治学の研究者にとっても必須に近いものになっている一方、僕の所属する大学では授業として開講されていないので、ここでそれが学べるのは非常に助かります。といっても、あまり深くは学ばないようですが…。

⑤HIS385, History of Hong Kong
これはその名の通り、香港史の授業です。
なぜ香港なのかというと、僕はどうやら香港やシンガポールといった小規模ながら経済的に発展した国家(地域)に興味があるようで、まず歴史から学んでみようと軽い気持ちで授業に出てみたら、先生がとても授業が上手な方だったのでそのまま居続けているという感じです。
前述の履修できなかった授業とは、これのことです。
内容は、大体歴史の授業と聞いて想像できる通り、時系列順の講義形式の基礎的なものです。
香港にしろシンガポールにしろ、商業の中心地として成長し、多様な文化が入り混じる中、どちらもイギリスという西洋の大国の支配を受け、そのシステムを継承しました。
詳しくは書きませんが、これらの地域は政治経済学的にも、社会学的にも面白いのではないかと思っています。

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さてここで記述的な授業紹介は終えて、「所感」に移りたいと思います。
どうでもいいよ!という人は、安心して飛ばして下さい。
自分がどんなことを感じたかな、と思い返してみて思いついたのは、以下の4つです。
①授業態度
広い教室を見渡してみれば、いや狭い教室でも、授業中にFacebookを見ているU of T生を簡単に見つけることが出来ます。中には音声は消してYoutubeを見ているやつまでいます。
授業中にポリポリ野菜をかじっているやつもいれば、パンを食べているやつもいます。
居眠りというのはあまり見ないのが不思議ではあります。
概して課題やリーディングは大変そうですが、それが勉強に対する真摯な態度を意味するかというと、必ずしもそうではありません。
日本でも海外でも、不真面目な学生は不真面目ですし、真面目な学生は真面目です。

②成績評価のフェアさ
殆どの授業は中間テスト・授業参加・レポート(数本)・期末試験などの総合評価によって成績がつけられます。
つまりどれかが上手く行かなくても、挽回できますし、レポートの点数に納得ができなければ、先生に直談判することも可能です。
日本の多くの大学、特に私の所属する東京大学法学部では、基本的に試験一発勝負、しかも試験問題は2・3問という極めて限られたものから全ての成績評価が為されます。
僕はこれが大嫌いなのですが、こちらに来てから改めて成績評価のフェアさを実感しています。
この成績評価の大変なところは、毎回授業にきっちり参加して努力もしないと成績が取れないことですが、逆にそれをすれば基本的に報われるわけで、ヤマを張って運良く成績が取れる、なんてことはまず起こらないわけです。
欧米の教育のほうが優れている、などという一般化が正しいとは全然思いませんが、こと成績評価に関しては上手いな、と思います。
逆にもし試験一発勝負をこちらでやったら、うんざりするほどのクレームが来るのではないかと想像されます。笑

③先生は学生を当てない
日本の授業でよく見られる「参加・貢献」というのは、先生が質問を投げかけて誰も答えず、先生が誰か特定の人を当てて答えさせる、というものだと思いますが、こちらの先生は基本的に学生を指名して答えさせることをしません。
発言をしないというのは成績評価には関わってきますが、それでもしないことも認められているのです。発言をするのはあくまで自分の意思であって、それをしたくない者に無理やりさせる、ということはしません。
僕が終始黙っていたケルト文化のtutorialでも、当てられたことは一度もありませんでした。
質問には誰かしらすぐ答えるので気づきにくいですが、意外と面白い違いだと思います。

④解決できないような/真ん中の選択肢で終わるような問題を議論する意味とは?
最後ですが、これは今も僕が答えを見つけられない問題です。
自然科学の多くの分野ならともかく、政治学や国際関係論では、答えの出ない問題や、1つを選べばもう1つが損なわれる、というような問題が沢山あります。
これは僕が前述のPOL417を受けている時に感じたことですが、ディスカッションの中でしばしば、「ここで議論したって絶対深まらないし答えは出ない」もしくは「どうせどっちつかずの答えで終わる」という問題に出くわします。
適切な例がぱっと思いつかないのですが、例えば「人道的介入はするべきか?」「内戦における組織的暴力の当事者を平和構築の過程で疎外すべきか」など、個人の価値判断の問題に最終的には行き着くように思いますし、両極端の中間に殆どの議論は落ち着きますし、教室の中で議論しても論文で議論されている以上のことを得られるとは思えません。
あるいは「まず事実を確認した方がいい」ということもあったりして、そうやって考えていくと「議論って何の意味があるんだろう」と思ったりもします。
そうなると授業のディスカッションというものが、とてもつまらなくなってしまうこともあります。
だから僕が一番好きなディスカッションのタイプは、誰かが書いたものについて、その範囲で議論していくというものなのですが、授業によってはそうもいかず、日本にいたころから度々悩まされています。長い目で見ていつか解決方法が見つかればいいな、と思います。

そんなところで、長くなりましたが今回の投稿は、終わりにしたいと思います。
お付き合い下さりありがとうございました。


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