2013年10月25日金曜日

授業が始まって...《第2回 田中総一郎,Soichiro Tanaka アメリカ》

アメリカに渡ってからなんやかんやでもうひと月経ちます。日本では何も変わらない世界が動いているのかと思うとノスタルジーに駆られるのでツイッタ―も開かなくなってからそのくらいが経ちます。なんでもかんでも繋がればいいってわけでなないんですね。そんなことを砂漠の中で感じています。

授業が始まって…ということで、いろいろとカルチャーショックや宿題の山、遊びたがりのフランス人留学生の群れとの付き合い等いろいろあるのですが、今回は日本の授業との相違点に注目します。何せ、勉学に来ているのですからね。書き方も堅苦しく行きますよ。何せ、勉学に…とは言いません。ちょっとかしこまった日本語を久しく書いてないから書きたくなったのです。筆者の勝手気ままをお許しください。分量自体はコンパクトになるはずですから。

日本と異なる授業の発見。確かにそこに授業形式やその運営方法に違いは存在したが、自分が想定していたほどのギャップはなく、どちらかに軍配を上げるというような決定的な優劣は見いだせずにいる。

成績勘定

成績勘定は非常にクリアである。宿題一つ、その中の問い一つも0.5pt間隔で換算される。成績全体は500点満点でつけられるため、一つあたり1/1000点である。ここまで緻密にレールを敷かれるとたかが1/1000点、されど1/1000点であり。自然と机に向かわされていた自分に気づく。一方日本の私立大学、特に早稲田大学での成績のつけかたはまったくもって不透明である。公正明大に算出方法を公言する教授もいるが、期末に論述をびっしりと書き、答案用紙の返却もないまま忘れたころに成績が発表される。この不透明さは生徒のやる気も先生の熱意も幅をもって持つことが許される要因を生み、多くの生徒はそれに甘んじ勉学への費用対効用ばかりを推し量って労力を惜しむ縮小傾向に陥る。それが日本(私立大学)の一般的な姿ではないだろうか。欧米系企業は結果がクリアであり、日本企業はグレーな部分があるとよく言われるような文化的な背景と同じ構図がここにもあるのではないか。

授業の双方向性

授業の双方向性について。日本の大衆講義型、欧米は少人数精鋭型という括りは必ずしも正しくはない。生徒の発言数、インタラクティブさは生徒数に反比例しないからだ。日本の場合、個は衆の中に埋没され、できる限り多の一部になろうと息をひそめる授業が多い。その裏には、正解を述べなければならない、先生の期待する答え、それ以上のものを示さなければならないという暗黙のプレッシャーがあるように感じる。しかし、こちらの学生が何かすごいことを言っているのかと言えばそうとは限らない。本当にたわいもないことでも自由に発言できる空気がそこにある。皆それが当たり前であり、言葉を発さないと分かりあえるわけがないというような考えの相違がその根底にあるように感じる。日本人は、言葉を介さずとも空気を読み、意図を推し量る、だから日本の教授は生徒からのレスポンスがなくとも、苦笑いを浮かべつつも次へと進んでいく。こちらの教授は、No answerは認めない。どうなの?と重ねてくる。そんな文化的相違が授業スタイルの裏に潜んでいるのではないだろうか。

生徒の姿勢

最後に生徒のグループワークに対する姿勢について。こちらの社会科学の授業では講義とディスカッションクラスがセットとなっており、ディスカッションクラスでは少人数でグループプロジェクトを行っている。日本で比較対象を用意するならゼミである。こちらの学生は、授業を通しての人間関係がきわめてドライである。アメリカ西海岸の人たちはオープンでカリフォルニアは特にリベラルな州で、みんなあっけらかんとしているかと思うと、プライベート、オン・オフの境ははっきりと引かれている。話し合いも、授業時間内で半ば強引に終わらせ、各自次までにやってくるタスクを確認し授業終了と同時にそそくさといなくなる。オン・オフの切り替えのしっかりできる人たち、時間を決めて物事をやりきることのできる人たちと見るか、少し距離を置いて、全体のために自分の時間は犠牲にせず、自分がよい成績を取ることのみを考える人たちと捉えるかは人それぞれであるが、気のすむまで、結論が揺るがなくなるまで議論をしつくした日本のゼミと対比すると、どこか寂しさを感じる。どちらが効率的で充実した学生生活になるのか、結論は出せない。しかし、日本のドイツから取り入れたというゼミ形式は、納得のいくまで頭を回し、自ら答えを紡いでいく。その過程で仲間との結束も深まる。確かに個人の時間を犠牲にすることはあるし、非効率なこともある。だが、研究が仕上がった後の打ち上げの飲み会ほど達成感をこちらのスタイルで味わえるとは思えない。

とまあ、ここのスタイルは非常にクリアでドライ、教授との発言という壁打ちで答えに辿りつく授業形態で効率的であるかもしれない。しかし、日本で受けた授業もまた一方でよかったのものだと再確認したのです。

もちろん、ここに書いたことは完全なる私観であって、押し並べて言うことはできません。とある私立大学からとあるカリフォルニアのとある授業を受けた感想で、それでも一般化できないかなとそこらへんのアメリカ人学生の意見も聞きながら考えたものです。

どこに行くのか、という変数の影響も大きいなと仲間のブログを読んでいると大きいなと思いますが、そこで何をして、感じるのかというのもまた大きいとこの45日間を振り返って感じます。
なかなか砂漠地帯から抜け出す機会を掴めずにいるのですが、「住んだら都を建てよう~遷都9カ月計画~」を構想しながら留学生活楽しんでいきます!


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