2013年10月21日月曜日

授業が始まって...《第2回 谷山奈津実,Natsumi Taniyama フィリピン》

6月から留学が始まり、10月上旬に前期セメスターが終了しました。丁度半分過ぎたところです。「授業が始まって・・・」というタイトルとはちょっと違って、前半のまとめのような感じ。

授業形態・学生の雰囲気
授業の体系・形態はアメリカなど欧米の大学と似ている。リーディングを読んできて、それについてディスカッション、講義、プレゼンテーション、テストにはエッセイを書いて提出するなどである。しかし、実際に授業に出てみると「フィリピンらしさ」がちらほら見えてくる。
①授業の時間
基本的に15分くらい遅れて始まることが多い。といってももともと、制度としてそれぞれの授業の時間の前後に休み時間・移動時間が想定されていない。(例:2限10:00~11:30, 3限11:30~13:00)学内にジプニーが走っているほど、学部の建物間に距離がある大学で、これはとても大変である。制度として設定された時間はあくまで「目安」であり、15分くらい(またはそれ以上)は遅れても大丈夫、という暗黙の了解の上で成り立っているのだと思う。
②シラバス通りには全く動かない
一応、授業の始めにシラバスが配られる、が全くその通りには動かない。フィリピン人にとって「予定」はその時々によってめまぐるしく変わるものであり、それが普通のことで、突拍子もないことを即座に受入れ対応する。次の授業にクイズがある、と言われていたのになかったり、または突然にクイズをされたりする中、(ちょっと不満に思いながらも)文句は言わないでとりあえず受け入れる。しかし時折、受け入れすぎて現状を改善しない、と不満に思うことはある。
③活発、笑いが絶えない
授業は1クラス15~25人ほどが平均であり、とてもインタラクティブに進められる。先生が投げかけた質問にもすぐ反応するし、誰かしらがジョークすると教室内がどっと湧く。フィリピン人はいつでも話にジョークを交えるのが性分で、真面目な場面でもとりあえずハッピーでいる。
④プレゼンがうまい
フィリピン人には、アジアの中でもラテン系と言われるだけあって、天性にパフォーマンス能力が備わっている。プレゼンでも、とっさに発言を求められたときでも、とにかく流暢にさらっとこなしてしまう。
⑤英語とタガログ語の混在
授業で扱う文献は基本的に英語だ。図書館には、(アメリカに統治された影響が大きいのか)アメリカの学問・理論の本か、またはフィリピンの学者が英語で書いているものが多い。授業で話される言葉は、学部や先生によって違う。政治など堅い学問では英語が使われることが多いが、貧困層にアプローチする地域開発学部はタガログ語が基本だ。両方を混ぜて話す場合も多く、学問的なことは英語で言って、くだけた雰囲気のときや日常の会話などタガログ語である。フィリピンでは小学校から、本や授業の言語は英語であるので、彼らはとても英語が流暢であり、日本人よりも複雑で深いことを英語で即座に吸収し、運用できる。文献や学問の言葉が英語であるのは、外国人にとってはありがたいことである一方、教育を受けるとき母語で書かれた本がとても少なく、植民地の言葉で学ばなくてはならないのは不幸であるとも思う。
大学内で行われた、LGBTの権利向上のデモ
授業内容
自分が取った授業で興味深かった授業を紹介する。
1つは、フィリピンの政治についての授業である。
私はこの授業で、フィリピンの政治の実情を知った。フィリピンの社会は、実に「政治的に」動いている。第一に、「weak state, strong society」と言われるように、政府の統治力や公共サービス提供力が本当に弱く、汚職にまみれている。日本でも汚職や非効率はあるかもしれないが、フィリピンはその規模が違う。まず政府がちゃんと税金を集めることができず、財政規模がとても小さい。脱税は100 billion peso と言われ、お金を持っているエリート(大企業、弁護士、医者など)は脱税し、公立学校の教師より低い税率で払っている。一方、産業が少ないフィリピンでは、政府が最大の雇用主であり、ただでさえ小規模の予算の9割は公務員の人件費や借金の返済などにあてられる。インフラや医療や教育など、国の発展に割けるお金は、それぞれ1ケタか少数点の%しかない。
1991年の地方分権化で、もともと中央政府から地方政府へ権力を分散させる目的で法律が作られたのに、むしろそれぞれの知事に権力が集中する結果になった。知事の権力乱用は甚だしい。マニラの知事が変わるたびに、自分の好みのガードレールの色に塗り替えたり、新しくマニラ知事になった元大統領は突然マニラ市内のバスの通行を禁止し、車を持たない中流以下の人は大打撃をこうむっている。また政治的いざこざで建設中のインフラが途中で中断され、モニュメント化した建造物があちこちにあり、全くもってお金の無駄遣いである。
またこの授業は、私の中で「日本」が再確認された授業でもある。
日本の政治についてプレゼンしたとき、日本政府の2013年度予算と日本の産業別人口について紹介した。こんなに真剣に日本の財政に向きあったのは初めてである。今までざっくり把握していた程度だったものを、どの分野を増やし、減らそうとしているのか、重点分野はどこなのかなどを細かく見た。若年人口がほとんどのフィリピンには考えられないくらい、社会保障費を割いていて(前年度より10%増で31%)、「日本は老朽化したインフラを整備する必要があり、公共インフラ15%増」と言うと、「フィリピンではそんなこと考えないだろう、耐震基準も安くあげるために守っていないところが多いのに」と言われる。産業が少なく、サービス業が大部分を占めるフィリピンに来て、改めて日本はモノづくりの製造業(一番多く18%)、で成り立っていると実感する。今までただの知識として頭の片隅にあったことが、フィリピンと比較して、日本が立体的に見えたような気がする。
また、フィリピンからの「日本」は奇跡的発展を遂げた国でもある。
「日本は1868年に開国する前、江戸時代で馬に乗っていたのに、1905年の日露戦争で鉄の船に乗って勝利した。わずか30年でこの発展!アジアが初めてヨーロッパのsuperpowerに勝利した」
「第二次世界大戦後、日本とフィリピンの一人当たりのGDPはさほど変わらなかった、フィリピンはアジアの中でも優秀な国だった・・これだけ英語人口がして、大学進学率もアジアの中で高かった。なのになぜこんなに発展に差が出たんだろう」
だが一方で、「日本の幸福度はそんなに高くないかもしれないね。経済的にはとっても発展してるけど。住む場所は狭いし(これはフィリピンも同じかそれ以上に密集してると思うが)自殺やいじめが深刻だ。」 と言われる。日本では残業が多く、過労死する人も多くいる、という話題は、仕事をしていてもリラックスが常なフィリピンでは理解しがたそうだった。

 2つ目は、Community development(地域開発学部)のフィールドワークだ。
 地域開発学部のポリシーは「people centered」(住民中心の開発)であり、上からの開発ではなく、農村や都市の貧困コミュニティの人々の中でファシリテーターとなり、住民の組織力を高め、住民組織が自らの開発を思考・行動できるようになることだ。
この学部では「資本主義は社会のエリートによって独占されている」「資本主義は帝国主義の西欧が広めた考え方」という、資本主義を斜に構えて見ているところがある。どちらかというと好まれるのはマルクスなどの社会主義的考え方である。歴史的に、少数の権力者が富を独占してきたことや、日本より、社会の階層による分断が激しいフィリピンだから、このような考え方が自然なのかもしれない。これも一面の真実であると思うが、あまりにも非効率で、プロジェクトの「実施」面が非常に弱いフィリピンに出会うと、「効率」を重視する資本主義も必要だと思う事はある。
地域開発学部のよいところは、フィールドワークを通して、実際に現場にいる人々の声を聞けることである。あるときは労働者のデモに、鉱山開発で環境被害を受けているコミュニティに、近所の貧困地区に話を聞きに行く。政治や、先進国からの見方とは違った知見を与えてくれる。
鉱山開発近隣のコミュニティでは、掘り出されたミネラルが周辺の農業地帯や川、海に流れ出し、農業や漁業に大打撃を与えており、井戸の水も汚染され健康被害が出ている。また、木を切り出して山肌がむき出しになり、洪水や土砂崩れが年々ひどくなっている。見せられた映像は、日本の3.11の津波のような、家が土砂に流されていく様子だ。利益を得ているのは、鉱山開発のビックビジネスに関わるフィリピンの企業、外国の企業(中国が多いらしい)、企業から賄賂をもらっている地方政府・国の政府で、地元の住民としては開発によって生みだされた若干の雇用よりも、生活への被害がよっぽど大きい状況だ。声を上げようと思っても、国の軍隊の存在があり、抑圧されているらしい。このような現実があるとは、行くまでは知らなかった。
一方で、鉱山開発はフィリピンにとって投資を誘致して経済成長するための成長戦略でもある。日本からフィリピン鉱業を解説する記事も、「2010年のフィリピン鉱業への投資額が前年比33%増の9.6US$・・・フィリピン鉱業が好調・・・」さらには、「ここまで、好調に推移してきた鉱業投資であるが、一方で、この状況をさらに前進させるためには、現在抱えているいくつかの課題、南コタバト州政府による露天採掘禁止命令(モラトリアム)、環境保護NGOなどによる開発停止訴訟・・・産業成長を阻害する要因を解決する必要がある。」反対運動が「成長を阻害する要因」としてとらえられているのである。日本からこの記事を読んだら、遠いフィリピンで地元住民が受けている影響をリアルに想像することは難しく、さらっと流していただろうが、現地で問題を見聞きしてからだとショッキングである。資源開発は環境への影響は強いことを深く考慮して、汚染防止策などを真剣にとらえてほしいと思う。

また、日本でいう生活保護、Conditional Cash Transfer(CCT)についても、語られる場所によって見え方が違う。政治の授業でのCCTは、お金のばらまきだ。税金40 billion pesoを、何に使われるかわからない貧困層にただ渡して、それが平等に配られているかもまだ検証されておらず、5年で終わってしまうため、意味がない、という問題の政策だ。しかし、パヤタスに住む家庭を訪問した時、CCTは家庭の助けとなっていると感じた。そこで聞いたことは、国の地域開発局が調査に入り認定した家庭にland bank(国営の銀行)のカードが渡され、毎回支給額が振り込まれる。「子どもを学校に行かせていること」が一つの条件で、子ども一人につき300ペソ(600円ほど)の学費、家庭につき500ペソ(1000円ほど)の医療費が、毎月振り込まれることになっている。貧困層の家庭では、学校に行くための交通費や、project feeと呼ばれる学校の課題にかかるお金が出せずに、学校に行けなくなることが多い。訪問をした家庭は、CCTがなければ子どもを全員学校に行かせるのは難しいだろう。がしかし、月1回振り込まれるはずのお金も、遅れたり、半分しか振り込まれなかったり、実施上の問題も抱えている上、5年で終わってしまうため、課題が多いことは否めない。

このように、世間で語られていることと実際のギャップの発見、その現場にいる人達の顔がリアルに思い浮かび、問題を真摯にとらえられるようになったことなど、フィールドワークのインパクトは大きい。
労働者デモのテント


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